MOLICE戦記ll -A Record of “MOLICE BATTLE”  second edition-

"MOLICE"ギタリストによる、日々の戦いの記録

地殻変動と音楽の神様

2009/11/23 Mon [Edit]

音楽を通して、色んな人に出会ってきた。
同じように音楽をやっている人や、MOLICEのファンや、
音楽を制作する人、音楽に関わるメディアの人たち。。
実に色々な人がいるものだ、と常々思う。
「音楽を聴く」という行為一つにしても、
CDなのか、ネットなのか、ライブなのか、と色んな方法があり、
その一つ一つに関わっている人がいるのだということを考えると
それも今や当たり前の事なのかなあと思う。

ところが最近、ちょっとした変化も感じている。
そうした音楽を通じた知人から
「この度、退職しました」という連絡を頻繁に受け取るようになった。
ニュースを見れば、CDが売れないとかそういう記事は
今や当たり前のようになって、
「ああ、そうらしいねえ」という程度の感想しか
持たなくなっていた自分だったが、
いわゆる「音楽の世界」から離れていくという連絡をダイレクトに受け取ると、
妙なリアリズムを感じてしまう。

では、音楽そのものが消えかかっているのかというと、
そんなこともない。
例えばお米や農作物のように、「今年は天候不順で大凶作だ」
なんて事は、音楽で起きる事はないだろう。

音楽は減りもしないし、増えもしない。
ただ、そこに関わる人々の生活環境の変化が起きているのだろうか。

「音楽で生きる」という事と、
「音楽と生きる」という事では、全くその内容も違う。

音楽で動くお金の在り方も変わってきているのだろうか。

音楽は、いつも自由で、世の中の変化など気にもせず、
雑誌がなくなろうが、お店が潰れようが、
誰がいなくなっても、誰が入ってきても、
いつも自由にそこらじゅうを笑顔で飛び回っている。

僕らはいつもそれを追いかけながら、
その羽根を拾ったり、その姿をスケッチしたり、
観察したり、おびき寄せたり、逃げられたりしながら、
その断片を曲という形に捉え続けているのだ。


下界ではその羽根を巡るシステムがグチャグチャな事になってきた。
地震が起きて、皆大変な思いをしながら、かけずり回る。
僕らも毎日、右往左往しながら、かけずり回る。
そんな事、どこ吹く風と音楽は飛び続けている。
今日も僕はそんな音楽をポカンと口を開けて、
あたふたしながら追い続けている訳だ。



セカンドアルバム制作中。
イギリスに思いを馳せつつ、
二週間後のライブも楽しみだ。

ステレオリマスターとThis is it

2009/11/08 Sun [Edit]

最近の事。
レコーディング、続いていて、
『Doctor Ray』が流通、配信されたり。

で、
ビートルズのリマスター・ステレオ盤を聴いた。
マイケルの『This is it』を観に行った。

とても刺激になった。
『A HARD DAYS NIGHT』を聴いて、
「リンゴのバスドラがでかい!」とか「アコギのこすれる音が聴こえる!」
とかそんな事で盛り上がる自分。
ああ、ビートルズっていうのは自分にとってそういうバンドなんだな、と。
ちゃんとしたマイクとレコーダーで録っていれば、
何十年経ってもこれだけの音が再生できるのかな、と思う。
ノイマンのマイクが欲しい。。。。

マイケルという人は、
歴史に残るほど華を持った人間なんだなと思うが、
この映画を見ると、いちミュージシャンとしてのその力量を感じずにはいられない。
あの歌唱力とリズム感は実力以外の何物でもない。
楽器をやっていたら(やっていたのかな?)、
間違いなくトップクラスの腕前を誇るプレイヤーになっただろうなあ。


ビートルズも、マイケルも、時代の音楽を鳴らしていた。
ビートルズは60年代の音を出し、
マイケルは80年代の音を出していた。
何というか、サウンドって服みたいなものなのだなと思う。
ビートルズはたまたま60年代に生きたので、
60年代の最高にカッコいい服を着たのだろう。
マイケルは80年代のそれを着たのだ。
だけど実は、服を着るその肉体そのものが、
恐ろしく強靭で、スタイルがいいのだ。
だから何を着ても似合う。
服で勝負したのではなく、実は生身の肉体で時代を生きたのだろうな。
たまたまその時代に生まれたので、それを着ただけ。
だから時代がいつになってもみすぼらしくならない。

他の80年代のアーティストなんかで、今みたら恐ろしく陳腐で寒い事になっている人はたくさんいる。きっと服を脱いでしまえば、貧弱な肉体しか残っていなかったのだろう。
時代とともに忘れられてしまう人ってそんな感じ。

時代の象徴みたいなビートルズとマイケルが、
実は一番時代を飛び越えるだけの強さがあるっていうのは、
考えてみれば当たり前だ。
音楽家としての演奏力、作曲能力があればこそ
今聴いても見ても、人を喜ばせることが出来るのだな。
そこにさらに華があるわけだ。この人たちは。

何というか、
ビートルズとマイケルという二つの
大きな花を眺めて掘り起こしたら、
ブッ太い幹と、ブッ太い根を見せつけられて
姿勢を正しました、というお話です。
今日は。

アルバム制作に気合を注入されました。

来年にはモノラル・リマスターも聴けそうだ。
今から笑いが抑えられない。






だらだらとつぶやき。はやりのつぶやき。

2009/10/15 Thu [Edit]

全く記録しては機能していないこのブログ。
月に一度の更新ではさすがにいかんな。
何にも書いてないので、何にも起きていないかと言えば
全くそんな事は無く、相変わらずセカンド制作中です。
PVも制作中、写真もとったり、
来週からは『Doctor Ray』の配信が始まったり、
月末には全国流通も始まる。
何かと慌ただしい。

ふと、道ばたで「先鋭的な音楽、刺激的な音楽」というものについて考える。
先鋭的、尖った音楽、という響きはミュージシャンにとっては
とてもおいしい響きで、何かとプロフィールなんかにも使われているし、
出来る事なら僕も「僕らの音楽は先鋭的ですよ」
と、力一杯言いたい誘惑にかられる。
先鋭的、っていうと何だか「新しい音楽」っていう感じがして、何か、いい。
古いよりは新しい方がいい。
モノを作っているのだから、「古い」と言われるよりは「新しい」と、
「尖っているぜ!」と、言われたい。
では「新しい」とは?
誰も聴いた事の無い音か?
そんなものがあるのか?
「誰も聴いた事の無い音」を求めるはずが、
いつのまにか「誰も聴かない音」「誰も理解出来ない音」になり、
100万人に理解されるよりも、100人に理解される方がいい、なんて事になり、
少数派こそ素晴らしい、というどんづまりな感じになって行く。

そう思うと、「先鋭的」なんて言葉は、その人その人の主観に過ぎないので
最早どうでもいい事になるなあ。
僕は100万人に理解されたいな。

音楽に必要なのは、面白さと説得力だ。
あくまで作り手としてのお話。
リスナーとしてはそんな事全くどうでもいい話。

アヴァンギャルドな音楽も、ノイズミュージックも大好きだ。
以前はそんなものの違いなんて理解出来ないし、
どれも同じだ、と思っていたのだが、
ある日、何の情報もないままランダムに
現代音楽とかノイズものを立て続けに聴かされた事がある。
アマチュアの作品も、大御所の作品もゴチャゴチャに。
で、「あ、これは面白い」と感じたのがジョン・ケージだったと知った時、
僕はビートルズとケージという音楽の両極を見つけた思いがして、
音楽というものの恐ろしさを感じた。
自分の中の何が、どこが、この二つの対極を心地よく感じさせるのだろう、と
思った。

以来、「自分を心地よくさせてくれるもの」が僕にとっての
「POP」の定義で、その時点で自分の中でジャンルというものが無くなってしまった。

「POPな歌謡曲」もあれば「POPでない歌謡曲」もある。
「POPな前衛」もあれば「POPでない前衛」もある。
と、思っている。

で、僕はPOPが好きなので、POPなものを作りたい。


というところで、今回の取り留めも無い話は
セカンド制作のお話に結びつきました。
POPな作品をお届けしたいです。


Dear CHANGE

2009/09/10 Thu [Edit]

制作は続く。
そんな中で、新しいPVも無事公開出来た。


『Doctor Ray』も、11月から全国流通。
まずは良かった。


色んな事が、静かに変わる。
奇しくも『Doctor Ray』には「Dear CHANGE」という曲があるが、
Rinko氏の名付けたタイトルのように、
楽しいとか、嫌だとか、そういうものでもなく
「親愛なる」くらいの心持ちで迎えるのがいいだろうな。

世の中は知らないうちに、ゆっくりと変わる。
「政治になんて興味も関心も無い」という無関心さもクールでもなんでもなく、
そんなヤツはただの無知かバカだと思われるようになっていくのかも。
かといって主義主張を振りかざすのも時代錯誤な感じもする。
色んなものの構造も、静かに静かに、変わってきている気がしている。

ニヒリストが流行る時代でもなく、
かといって声高に変化を叫ぶ時代でもなく、
変化におびえて耳をふさいで閉じこもる時でもなく
ノスタルジーに浸っているほど時間もない。
ただ粛々と、でも強い力を込めて、
自分がやろうとしている事をやる。

そんな事を考えている。

音楽を創っている。
録音という、とても具体的な形で音楽を創っている。
これしかない、という音を選んでいるが、
それも実は2009年だから出てきた音なんだと思う。
時代とか歴史とか、そういうものの上に僕はいつも立っていて、
そこで音が生まれている。
世の中の出来事なんて関係のない閉じた世界の中で
音を創っていたりするような錯覚に陥るけど、
実は全くそんな事は無くて、気付かなくてもモロに時代の流れを受けている音楽を創っているのだろう。

堀田善衞の『方丈記私記』を読んでいる。
「世捨て人」と言っても、結局はその時代の「世」があるから捨てられる訳で、
あらゆる人は時代や世の中とつながっているのだなと。
ひきこもっていても、逃げ回っていても、この世を謳歌していても、
結局、皆、とても強固に時代に接続しているという事なのだな、と。

???何の話?
と言われても仕方ないけど、
何か、そんな事を考えている時期なのです。
そんな事を一度問い直してみたい、という自分がそこにいた訳です。

で、ギターを弾いています。
録音は順調です。

作品の完成をお楽しみに!

制作開始

2009/08/09 Sun [Edit]

新作PV制作中。
そしてレコーディングも始まった。
始まった、ではないか。始めた、のだ。

MOLICE結成時からともに音源づくりに取り組んでいるエンジニア、三木氏とともに、
今回もスタジオに機材を持ち込み、マイクをいじりながら、
あーだこーだと実験を重ねています。
何時間もかけて、マイクの音を聴きながら、試行錯誤して、
ベストな音を狙っている。
こうした形の独立独歩のレコーディングを何度もやっているが、
そのたびに機材を少しずつグレードアップさせてきた。
自分たちがその効果や意味の分からないようなおおげさ機材を使ってもつまらない。
自分たちより、少しレベルの高い機材を使う。これがいいと思う。
そこについて行こうと背伸びできるようなものがいい。
自分たちも勉強して、どんどん機材を扱うクオリティを上げるように努力してきた。
前に使った機材のレベルは追い越している。
その度に機材のグレードをあげていく。

MOLICEの音源は、普通のリハーサルスタジオで全て制作されている。
だけど持ち込んでいる機材は決してチープなものじゃないぜ。
それなりのものを使っていると自負している。
そりゃあ商売しているレコーディングスタジオにあるような何百万もするものじゃないが。
後は自分の音へのイメージと耳だけが頼りだ。
機材と耳をギリギリいっぱいまで使い倒すのだ。

我々はインディーズだが、アマチュアじゃない。

わかるかい?
インディーズ=アマチュア、じゃないんだ。
それが理解出来ないバンドマンはアメリカン・ハードコアでも勉強し直すべきだな。

奇しくもレコーディングにまさに入ろうかという時に、
清志郎の『ロックで独立する方法』を書店で発見した。
彼が突きつける冷静な事実や現実が、
今まさにレコーディングに入ろうとしていた自分を
本当に励ましてくれた。

レコーディングは本当に自分が追い込まれる。
それが好きだ。
レコーディングは演奏するのも集中力が必要だし、
その後のミキシングにはレコーディングの何倍もの時間がかかる。
ぐったりする。疲弊する。
まともに寝られない日がまた何日も来るのかと思うと、
今からぞっとする。だけど、自分でそれを選んでしまうのだな。
止められない。
ぞっとするのだが、楽しみ。
こんな感覚は他にはちょっとない。

僕は自分の手で、しっかりと音を確かめながら、
感覚を共有出来るパートナーと一緒に
機材を自分の手でコントロールしながら、音を制作していくのがいい。
システムに乗っかっただけのオートーメーションのようなレコーディングはやりたくない。

人間は追い込まれないと進歩しない。
”愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ”というが、同感だ。
自分のやってきた事、経験の範囲だけで同じ事を繰り返すだけなら犬と同じだ。
「いつもはこうやってた、前はこうやった。」
物事の判断の基準が「いいか悪いか」ではなく「いつもの通りかどうか」。
そんなのクソだ。
経験だけで生きて行く人間は、未知の事に追い込まれると
思考停止になって、わめきだす。「そんなのやったことない」って。

かといって無軌道な冒険ばかりやれというのも違う。
先人の思考の跡を学びつつ、「自分ならどうする?」と問いつつ、
新しい事をやっていく事が素敵な人生な気がする。
そうやって数ミリでも賢者に近づけたらいいんじゃない?

そんな感じで、自分を追い込みながら
セカンドアルバムの制作に突入。

また途中経過はご報告、できるかな?








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