MOLICE戦記ll -A Record of “MOLICE BATTLE”  second edition-

"MOLICE"ギタリストによる、日々の戦いの記録

インスタントはエコロジーか。

2009/06/11 Thu [Edit]

「読まずにわかる『1Q84』」という見出しを最近よく目にする。
それでいいのか?
別にネタバレするような事はやめろ!とかそういうのだけではない。
(もちろんそれもあるのだが)
かくいう僕も『1Q84』を購入し、第一巻を間もなく読み終えるところだ。

それ、おかしいだろ!と本気で思うのだが、どうだろう。
「聴かずにわかる『ビートルズ』」とか、
「聴かずに知ろう、『ハードコア』」という事と同じだろう?

本を読まずにわかる。映画を見ずにわかる。
わかる、ってなんだ?

忙しい現代人は本を読んでる暇もないし、本も売り切れ続出だし、
二冊もあって全部読むのも面倒くさいけど、話題だから知っておこう、という
とても現代的なインスタントな感覚か?
でも、それってあまりにも末期的な感覚な気がして仕方ない。
そこまでして知りたいのか?それで「わかって」いいのか?と、思うし、
恥ずかしげも無く、そういう見出しをぶち上げるテレビも雑誌も意味が分からない。
いや、意味はわかるのだけど、わかりたくない。

「世の中どんどんお手軽になっていく」という現象には、
わりと客観的にいよう、と思っている。
時代や世界の変化に対しては、きちんと離れて眺めるように心がけている。
結論はすぐに出さないようにしている。
でも、これはひどいと思った。
そこまでやるか、と思った。

断っておくが、僕は別にハルキストではない。
普通に楽しんでいる読者の一人だ。
村上春樹はだいたい読んでるけど、熱狂的な読者でもない。
でも、ひどいな、と思った。

「わかる」という言葉が良くないのかもね。
あらすじを追って、結末を知る事が「小説を読む」という事ではないのに。
そこを勘違いしているのか?
もちろんあらすじと結末の素晴らしさで成り立っている小説もあるけど。
でも、それだけでいいなら、世界の全ての小説は原稿用紙一枚で済むはずだ。
そうしたら紙の量も減ってエコにもなるか。

そういうもんじゃないじゃん、と思うのだ。
「いや、僕はこの小説に関してはその程度でいいです」というのなら、
それはそれでいいや、と思うのだが、
それを公共でやるなよ、と思う。
こうやってブログにでもしろよ、と思う。
シャレたカフェで友達と話でもしながら話せよ。
「読まなくてもわかる『1Q84』、やってあげようか」って。

売り切れてるから、っていうなら、ちょっと待てばいいじゃん。
飛びついたヤツらがすぐに新古品みたいな値段で売りに出して、
すぐにたくさん出回ると思うよ。
それも待てないくらい忙しいですか。

本も映画も音楽も、
宇宙食みたいにコンパクトになるのかしら。
「この一粒で一日分の食料です」みたいに、
「このディスク1枚15分で五万枚分のアルバムです。」とか。
あ、でもマジでそうなりそうで、シャレにならんな。


手塚治虫さん、未来の世界はどんどん無駄も無く省エネになっていますよ。
いかがですか?

さあて、どうしようかね。

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