100年に一度なら。
2009/04/01 Wed [Edit]
世界は毎日騒がしい。
100年に一度、という言葉も何度も目にして、
色んな人が色んな分析をしている記事やコメントを聞いたり、
現状を語っている山積みにされている本にも目を通す。
そうやって、今起きている事の輪郭だけでも掴んでおこうと、日々思う。
それで「スコン!」と何かがわかるわけではないし、
ゴキゲンなアイデアが浮かぶでもない。
目をつむる事も、背を向ける事もできるけど
今自分がこの時代に生きている以上は逃げる事は出来ないんだなあ、と思う。
いや、もしかしたら逃げる事は出来るのかもしれないけど、
それはそれで大変なエネルギーが必要だろう。
「逃げ切る」という事も、それはそれで尊敬に値する事だと思ったり。
結局色んな記事やら本やらを読んで、
その行間からにじみ出てくるのは、
「で、どうしたらいいのかは、わからん!」
というつぶやきな気がする。
誰も未来などわからないのだ。
平和で幸せな時に明日がどうなるかはわからないのと全く同じで、
今のように「危機だ!!」と騒がれている時でも、
誰も、誰も、未来の事など、わかりはしない。
人間も動物、ヤバい時は「何かヤバい!」と感じたり、
誰かがおびえているのを察知して、ヤバいのか!?と身構えたりするものだ。
で、皆身構えている。
僕も、身構えている。
何がどうなるかはわからないけど、身構えている。
でも、何がどうなるかわからないのは、
生まれた時からそうだったんだな、と思い出した。
指を指せるのか、という事なんだと思った。
「おれ、あっちに行きます」と。
真っ暗闇でも、霧の中でも、
感覚を最大限に研ぎすまして、
目も耳も肌も全開にして、
それでも足りなければ、何かわからないけど脳のどこかをパカッと開いて、
何かを感じ取って、
それで、
「おれ、あっちに行きます。」
と言うことなんだ、と思う。
で、進む事なんだな、と思う。
「これは闇です」「これは霧です」という分析は
何度か聞けば情報としてよくわかる。
で、じゃあどっちに行くのか。どこへも行かないのか。
その判断をしないと、皆閉塞してしまって、嫌な事件が起きたりする。
音を出す、という事は、その瞬間瞬間に方向を決めなければならない。
何の音を出すか決めていなくても、楽器に触れば音が鳴る。
音が鳴った瞬間、その音の責任は自分にあるのだ。
取り返しはつかない。
一音出したら、次の音を出す。
モタモタしている暇はない。
モタモタするくらいなら、最初から音を出さなければいい。
そんな音の塊がMOLICEの音で、僕はその一部。
迷う事は許されないのだ。
常に指を指している。
「おれはあっちへ行きたい!行く!!」
そうやって産まれる、MOLICEという得体のしれないモンスターに
知らず知らずに導かれているのかも知れないし。
それを楽しんでもいる。
その方向が正しいのかどうかはわからないが、
そもそも正解など無いのだから、「こっちだ!」と確信した方へ進めばいいと思っている。
その進んだ先に、僕らを待っていてくれる人がいたら、
それは最高に幸せな事だろう。
たどり着く場所はわからないけど、
行きたい方角ははっきりしてる。
それでいいやと思う。
その路上で、また誰かと出会うのだ。
それでいい。
100年に一度の世の中も、そんな風に歩いてみるのも楽しいかもしれない。
ねえ、君、そうは思わない?
大丈夫だよ。元気出して。
100年に一度、という言葉も何度も目にして、
色んな人が色んな分析をしている記事やコメントを聞いたり、
現状を語っている山積みにされている本にも目を通す。
そうやって、今起きている事の輪郭だけでも掴んでおこうと、日々思う。
それで「スコン!」と何かがわかるわけではないし、
ゴキゲンなアイデアが浮かぶでもない。
目をつむる事も、背を向ける事もできるけど
今自分がこの時代に生きている以上は逃げる事は出来ないんだなあ、と思う。
いや、もしかしたら逃げる事は出来るのかもしれないけど、
それはそれで大変なエネルギーが必要だろう。
「逃げ切る」という事も、それはそれで尊敬に値する事だと思ったり。
結局色んな記事やら本やらを読んで、
その行間からにじみ出てくるのは、
「で、どうしたらいいのかは、わからん!」
というつぶやきな気がする。
誰も未来などわからないのだ。
平和で幸せな時に明日がどうなるかはわからないのと全く同じで、
今のように「危機だ!!」と騒がれている時でも、
誰も、誰も、未来の事など、わかりはしない。
人間も動物、ヤバい時は「何かヤバい!」と感じたり、
誰かがおびえているのを察知して、ヤバいのか!?と身構えたりするものだ。
で、皆身構えている。
僕も、身構えている。
何がどうなるかはわからないけど、身構えている。
でも、何がどうなるかわからないのは、
生まれた時からそうだったんだな、と思い出した。
指を指せるのか、という事なんだと思った。
「おれ、あっちに行きます」と。
真っ暗闇でも、霧の中でも、
感覚を最大限に研ぎすまして、
目も耳も肌も全開にして、
それでも足りなければ、何かわからないけど脳のどこかをパカッと開いて、
何かを感じ取って、
それで、
「おれ、あっちに行きます。」
と言うことなんだ、と思う。
で、進む事なんだな、と思う。
「これは闇です」「これは霧です」という分析は
何度か聞けば情報としてよくわかる。
で、じゃあどっちに行くのか。どこへも行かないのか。
その判断をしないと、皆閉塞してしまって、嫌な事件が起きたりする。
音を出す、という事は、その瞬間瞬間に方向を決めなければならない。
何の音を出すか決めていなくても、楽器に触れば音が鳴る。
音が鳴った瞬間、その音の責任は自分にあるのだ。
取り返しはつかない。
一音出したら、次の音を出す。
モタモタしている暇はない。
モタモタするくらいなら、最初から音を出さなければいい。
そんな音の塊がMOLICEの音で、僕はその一部。
迷う事は許されないのだ。
常に指を指している。
「おれはあっちへ行きたい!行く!!」
そうやって産まれる、MOLICEという得体のしれないモンスターに
知らず知らずに導かれているのかも知れないし。
それを楽しんでもいる。
その方向が正しいのかどうかはわからないが、
そもそも正解など無いのだから、「こっちだ!」と確信した方へ進めばいいと思っている。
その進んだ先に、僕らを待っていてくれる人がいたら、
それは最高に幸せな事だろう。
たどり着く場所はわからないけど、
行きたい方角ははっきりしてる。
それでいいやと思う。
その路上で、また誰かと出会うのだ。
それでいい。
100年に一度の世の中も、そんな風に歩いてみるのも楽しいかもしれない。
ねえ、君、そうは思わない?
大丈夫だよ。元気出して。

